20世紀初頭、魔都・上海。元娼妓で、今は情報屋として名を馳せる笙鈴には影のように付き従う護衛がいた。彼――秀英は義母に売られた笙鈴を妓楼から身請けし、護衛の対価として彼女を抱く。彼に抱かれるのはただの代償、そう思いつつも、激しく執拗な秀英の愛撫に乱れ、笙鈴の身体は慣らされていく。やがて笙鈴の中に、淡い思いが芽生え……。
「つまり、あなたに助けてもらったのだからそれに見合うお礼をするのは当然なの。お金でも品物でも、欲しいものを言って」
対価をきっちり支払うことは、〝決して馴れ合わない〟という意思表示でもある。
自分は身請け話には納得しておらず、胡に囲われることをどうにか回避しようとしているのが現状だ。ならば決して借りは作るまいと、笙鈴は心に決めていた。
するとそれを聞いた彼が、ふと口元を緩める。いつも淡々とした表情の胡がそんな顔をするとドキリとするほどの色気があり、笙鈴は束の間目を奪われた。
彼が口を開いた。
「このあいだも言ったが、金ならいらないし、品物にも興味はないんだ。元々物欲は薄いほうで、大抵のものは間に合ってる」
「でも……」
「俺の望みなら、もう伝えてある。――あんたが欲しい」
低い声が告げる言葉の内容に、笙鈴の頬にじわりと朱が差す。
〝欲しい〟とは、やはり身体ということなのだろう。しかし笙鈴はかつて凌辱された経験から、男女の行為に抵抗がある。
妓楼で働いていれば、扉越しにそうした声や気配を感じることは日常茶飯事だが、それを我が身に置き換えたときにこみ上げる嫌悪はどうしようもなかった。
(……でも)
金も品物もいらないという胡に与えられるものは、他に何もない。
笙鈴の心臓がドクドクと速い鼓動を刻み、手のひらにじんわりと汗がにじんだ。こちらの動揺が伝わっているのか、彼が言った。
「決して手荒にしないし、傷つけないと約束する。この上なく大切に扱うから」
「…………」
「誤解しないでほしいんだが、俺はあんたを屈服させたいわけじゃない。たとえ抱かれたからといって俺に負けたとか、支配されたとかは思わなくていい。俺たちは今もこの先も、ずっと対等だ」
その言葉に、笙鈴の心が揺れる。
男に対する嫌悪は〝支配されたくない〟という思いからきているだけに、そうした心情を慮った発言は胸に響いていた。
思い返せば、再会した当初から胡が笙鈴に威圧的な態度を取ったことは一度もない。彼は「俺のものになってくれ」と告げたものの、上から押さえつけるような姿勢は一切見せなかった。
(もしわたしと胡の立場があくまでも対等で、今後も支配するつもりがないのなら――)
命を救ってもらった〝対価〟として身体を与えるのは、ありなのではないか。
迷った末にそう結論づけた笙鈴は、顔を上げる。そして胡の目を見て告げた。
「わかったわ。〝対価〟として、あなたに抱かれてあげる。でもこの一度きりだし、わたしはまだ身請けの話に納得していない。その話は、また改めてさせて」
「わかった」
短く答えた彼は、少し離れたところに停まっていた自動車に乗り込む。
西蔵路を北上して向かったのは、競馬場のすぐ傍に竣工したばかりの〝金門大酒店〟だった。ルネサンス建築のそのホテルは八階建てで、石造りのエントランスや、白い壁とダークブラウンの建具、床に敷かれた赤いカーペットが印象的だ。
ロビーは天井の凝った装飾やドーリア式円柱が優雅さを醸し出し、まるで外国に来たかのような錯覚をおぼえる。
ソファに笙鈴を座らせた胡は慣れたしぐさでフロントに向かい、チェックインしていた。やがて露西亜人の従業員に案内されたのは、西洋と中国風を織り交ぜた豪奢な部屋だ。
彼が去っていき、部屋の窓から競馬場を見下ろしていた笙鈴は、胡を振り向いて言った。
「西洋建築のホテルの客室には、初めて来たわ。あなたはずいぶん慣れているのね」
「上部組織の人間との会合で、こういうホテルを使う。彼らは自分たちを大きく見せるのに余念がないから、新しい建物には目がないんだ」
笙鈴は「そう」と答えながら、内心の怯えを表に出すまいと気を張り詰めていた。
これからすることは、いわば〝取り引き〟だ。胡に命を助けられた代償に、自分はひとときだけ身体を提供する。だが金で売ったわけではなく、無理やりでもないため、矜持は傷つかない――そう自分に言い聞かせていた。
(そうよ。胡に抱かれたからといって、わたしは何も変わらない。だから怯える必要なんてないのよ)
笙鈴は振り返り、彼に向き直る。そして極めて事務的に告げた。
「わたしは百貨店に行くと言って、翠泉楼を出てきているの。あまり長い時間戻らないと心配されるから、するならさっさと済ませて」
するとそれを聞いた胡が、小さく笑う。彼は笙鈴の頬に触れて言った。
「色気のない誘い文句だ。上海一の娼妓といわれているのに、男を誘うのは下手なんだな」
「当然よ。わたしは芸を売る娼妓で、男をその気にさせるのは専門外だもの」
つんとして言い放った瞬間、ぐっと身体を引き寄せられ、息をのむ。
気がつけば笙鈴は、胡に口づけられていた。口腔に入り込んだ舌が歯列をなぞり、絡みつく。肉厚でぬめるそれはぬるい体温を伴っていて、生々しさに眩暈がした。
ねじ込まれる動きが苦しく、思わず歯を立ててしまったものの、彼はまったく動じない。口蓋を舐められ、ざらつく舌の表面を擦りつけるように絡ませられて、喉奥から呻き声が漏れた。
さんざん貪ったあとにようやく唇を離されたとき、笙鈴はすっかり息を乱していた。
「はぁっ……」
互いの間を透明な唾液が糸を引き、胡が自身の唇の端を舐めた。
その色めいたしぐさに心臓が跳ねたのも束の間、腕を引かれてキングサイズのベッドに押し倒される。スプリングで弾んだ笙鈴の身体に覆い被さり、彼が親指で唇をなぞってきた。
「ぁ……」
再び深く口づけながら、胡の手が胸のふくらみを包み込む。
彼の手は身長に見合って大きく、揉みしだかれる強さに身体がこわばった。その感触に、笙鈴は何度も忘れようとした六年前の記憶を否応なしに思い出していた。
――肌を暴かれ、男の手とナメクジのような舌が肌を這う悪寒。胸のふくらみを揉み、指で中を穿ったあと、虞光峰は笙鈴の体内に無理やり昂ぶりを押し込んできた。
そのときの痛みと屈辱、興奮した眼差しや荒い息遣いに感じた吐き気がするほどの嫌悪が呼び起こされ、笙鈴は思わず胡の二の腕をつかんで言う。
「待って……わたし……っ」
すると彼はこちらの手をつかみ、自身の顔に触れさせつつ、目を合わせてささやく。
「よく見ろ、俺は笙鈴を凌辱した男じゃない。あんたのことが欲しくてたまらない、胡秀英だ」
「……っ」
「あんたを犯した虞光峰は、二年前に死んだ。相変わらず阿片ばかりやって、実家の薬局の仕事をほとんどしていないクズだったが、拉致されて拷問を受け、『もう死なせてくれ』と懇願しながら死んだそうだ」
思いがけない言葉に驚き、笙鈴は呆然と胡を見る。
「どうしてあなたが、そんなことを知ってるの……?」
「俺が指示したからだ。あいつは笙鈴を襲った理由を、『女に頼まれたからだ』『自分は悪くない』と責任転嫁していたらしいが、おそらく息絶える寸前に自分の行いを深く後悔しただろう」
淡々と語る胡の冷ややかさに、笙鈴はゾッとして言葉を失くす。彼が話を続けた。
「遺体は実家の隆泰徳堂に返されたが、家族はすっかり震え上がり、すぐに店を閉めて上海を出ていったそうだ。笙鈴を陥れた翠泉楼の娼妓たち三人の行方についても調べてみたところ、格下の妓楼に売り払われて借金に喘いでいた。彼女たちの末路も、推して知るべしだ」
胡は組織の中でのし上がり、そこまでできる力を蓄えてから、満を持して報復に及んだのだ。
そう考え、笙鈴は信じられない思いでつぶやいた。
「あなたはわたしのために、わざわざそこまでさせたの……?」
「俺はそのために、裏社会に入った。笙鈴を助けられなかった自分に嫌気が差して、死に物狂いで力をつけたんだ。おかげで今、こうしてあんたに手が届いてる」
彼は笙鈴の手をつかんで口元に持っていき、手首に口づける。そして色めいた眼差しでこちらを見た。
「虞光峰にされたことは、俺が全部塗り替えてやる。あんたはただ、素直に喘いでろ」
「あ……っ」
舌先でチロリと手首の内側を舐められ、ゾクッとした感覚が走る。
普段意識もしていなかった部分が思いのほか敏感であることがわかり、笙鈴は動揺した。そのまま舌を這わされ、濡れて柔らかい感触に声が漏れそうになるのを何とかこらえる。
すると身を屈めた胡が笙鈴の首筋に顔を埋め、耳の後ろ側に口づけてきた。肌に触れるかすかな吐息、そして覆い被さる彼の身体の重みに、じわじわと恐怖心がこみ上げてくる。
だが胡の動きに、荒々しさはなかった。彼の手がこちらの斜め開きの大襟をくつろげ、旗袍の前を開く。
あらわになったシュミーズが、笙鈴は恥ずかしくてたまらなかった。これまで男に下着を見られる機会がなかったため、たったこれだけのことでひどく動揺してしまう。
「……っ」
胡がシルク製のそれごと胸に触れ、やわやわと揉んだ。
大きな手の中でたわむふくらみが淫靡で、気づけば笙鈴は息を乱していた。
「……っ……ぁ……っ……」
ときおり胸の先端部分を引っ掻くようにされ、身体がビクッと震えてしまう。
シュミーズ越しにそこがつんと尖っているのがわかり、部屋の明るさがにわかに気になり始めた。
やがて彼がシュミーズの肩紐をずらし、あらわになった胸をつかんで先端に舌を這わせてきた。濡れた舌で舐められるうち、敏感なそこは芯を持って尖り出す。
ざらつく表面で押し潰され、ときおり吸い上げる動きにじんとした疼痛がこみ上げて、笙鈴は思わず息を詰めた。
「ん……っ」
舐めたり軽く歯を立てる行為に先端が疼き、足先で敷布を掻く。
胡の片方の手が太ももにかかり、シュミーズの裾をまくり上げた。下着越しに脚の間に触れられ、笙鈴は太ももにぐっと力を込める。
すると視線を上げた彼と目が合い、ドキリと心臓が跳ねた。
「……っ」
いつもの胡は淡々として温度の低い目をしているが、今は瞳の奥に押し殺した欲情の色を秘めている。
一方でこちらを冷静に観察しているのがわかり、笙鈴はぐっと眦を強くした。しかし胸の先端に歯を立てられ、息をのんだ瞬間、下着の中に手を入れられてしまう。