「ずっと欲しかった。兄貴の婚約者だったおまえを」
婚約披露当日、結婚するはずだった御曹司・彰人に逃げられた老舗料亭の跡取り娘・香蓮。代わって「俺が香蓮と結婚する」と告げたのは、弟の凌我だった。昔から喧嘩ばかりの二人だが、実は以前、留学先で三か月だけ「恋人ごっこ」をしたことが。凌我にとっては兄の代わりに結婚するだけ――そう思う香蓮だが、婚約生活では予想外に情熱的に求められ!?
「……あの、不束者ですが末永くよろしくお願いします」
けじめの挨拶をするなら今だろうと思ったのに、凌我は目を瞠り思わずといった体で口元を手で覆った。
「いや……こちらこそ」
凌我らしくもないぼそりと洩らすような応えは、もしかしたら香蓮の態度が重かったのだろうか。相手が彰人だったとき以上に、この縁談は政略的なもので、互いの恋愛感情が高まった末のことではない。
──香蓮が密かに留学のときの感情を燻らせているとしても。
「これまでがこれまでだもの、急に変われないよね。無理しないで徐々にやっていこうよ。でも、希望があれば遠慮なく言ってね、食事のこととか──あ、そうだ。おいなりさん作ったの。食べる?」
「遠慮なく、ね……いなりは今はいい。風呂に入ってくる。おまえはもう入ったのか?」
「片づけで汗をかいたから、先にいただきました。ごめん……」
湯は張り替えておいたが、やはり凌我に先を譲るべきだっただろうか。しかし凌我はふっと笑った。
「好きに使えばいい。なんなら一緒でもいいけどな」
「そっ、それは遠慮します!」
焦る香蓮を尻目に、凌我は肩を震わせてリビングを出ていった。
気を落ち着けて湯呑を片づけながら、そういえば訊くのを忘れていたことを思い出した。客用布団はどこにあるのだろう。ちらりと覗いたほかの部屋は、納戸のような状態だった。凌我が使っている寝室には、キングサイズのベッドがあったけれど──。
「なにか面白いものでもあるのか?」
「うわっ……びっくりした……もう出たの」
冷蔵庫の前で立ち尽くしていた香蓮の背後から、凌我が手を伸ばした。ミネラルウォーターのボトルを取り出して、立ったまま口にする。バスローブの合わせが緩めで、上下する喉仏に視線が向いてしまう。シャンプーの香りがやけに鼻をついた。
「いつもこんなもんだよ。ちゃんと洗ってるから心配無用」
「そ、そう……」
ぎくしゃくとした足取りで離れようとすると、
「そろそろ寝るけど、まだなにかやることあるか?」
凌我に声をかけられ、振り返る。
「ううん、私ももう休もうと思ってたところ。それで布団──」
「そんなものない。寝室のベッドがあるだろ。ふたりで寝ても充分な広さだ」
(それは……どういう意味で言ってるの?)
たしかにその名のとおり王様が寝るような巨大なベッドだけれど、布団はないから横で寝ろと言っているわけでは──ないだろう。
そもそも凌我は女性との交際関係が派手で、そこまで行き着くハードルも低い。お膳立てされたようなこの状況を無視するとは思えない。しかし相手は香蓮だ。キスまで進んでいながら、あっさり引き下がった過去がある。つまりどうしても行為に進みたいと思うほどではなかったということで。
(そんな私と? いや、でも今や私たちは婚約者で、その気になれないとか言っている場合ではないわけで──)
そんなことを頭の中で巡らせていると、凌我の手が香蓮の肩を抱いた。
「まさか嫌だとか言わないよな? 夫婦になるんだから」
(やっぱりそうなの!?)
一気に鼓動が跳ね上がった香蓮を、凌我は寝室へ導く。決して強引ではないのに、操られるように足が動いてしまう。
香蓮も成人した女性なので、政略結婚だろうとそういったことも含まれていると承知の上だ。むしろ政略的だからこそ、次世代の後継ぎが望まれている。
(そうよ……彰人さんのときだってわかってたんだから、相手が凌我だろうと同じだわ)
それなのに、彰人に対しては冷静に受け止めていたのに、どうしてこんなに動揺してしまうのだろう。意識しないようにすればするほど胸の鼓動がうるさい。
いちばん広い寝室は、ソファセットやサイドボードなども置かれているが、余裕がありゆったりとした空間だ。しかし今の香蓮には、ベッドしか目に入らない。凌我に軽く肩を押されて、そこに腰を落とす。明かりは絞られていたが、身を屈めた凌我は黒いシルエットになって、逆光で表情が見えない。
「……あのっ、……」
頬に手を添えられて、香蓮は思わず声を上げた。
「いずれ結婚はするけど、今はまだ婚約者で……それってどうなのかな、とか。世間的にというか──あっ……」
途中でシーツの上に押し倒された。凌我の重みと身体の硬さが伝わってきて、胸が高鳴る。凌我にも心臓の音が聞こえてしまいそうだ。
「一緒に暮らすのは反対されなかっただろ。うちの親なんか喜んでた。世間なんてどうでもいい。けど──」
香蓮を見下ろす凌我の目が、真っすぐすぎて息苦しい。
「おまえ自身はどうなんだ?」
答えをはぐらかせない強い視線で縫い留められる。
パーティーの直前に、控室で凌我と香蓮の婚約話が出たときも、こんなふうに訊かれた。
自分で決めて引っ張っていくようでありながらも、凌我は必ず香蓮の意思を確認してくれる。今だってキッチンでは当然のことのように言いながらも、ちゃんと最終確認をしている。
「……嫌だなんて言わない……」
そう答えてから、どうしてもっと言葉を選べなかったのだろうとすぐに後悔した。本当に嫌ではないのだ。ぎこちない態度になってしまうのは、単純にセックスが初めてなことと──相手が凌我だからだ。
『恋人ごっこ』と称して過ごした期間、香蓮は本当に凌我を好きになっていた。それが凌我の巧みなエスコートによる錯覚だったのかはわからないけれど、あのときと同じようなときめきを覚えている。
なのに、凌我にその気持ちはないと知っている。そのことが自分の気持ちを素直に伝えるのを阻んでしまう。
突然終わってしまった『恋人ごっこ』と違い、今度は本当の夫婦になって、これから先の人生を歩むのだから、躊躇いなんてあるはずがない。恋愛感情で結ばれるのではなくても、きっと夫婦の愛情は育てていける。だけど、自分だけが凌我を好きなのは苦しい。
凌我はふっと口元を緩め、香蓮の頬を手で包むと顔を近づけてきた。
「んっ……」
唇が触れた次の瞬間、深いキスに変わる。歯列をこじ開けて押し入ってきた舌に、口中を掻き回されて、喉奥に逃げていた舌を吸い上げられた。気が遠くなりそうなのに、心地いい。凌我の舌で溶かされていくようだ。
キスに気を取られているうちに、いつのまにか凌我の手はブラジャーの上から香蓮の胸をまさぐっていた。
寝間着は一応それらしいものも用意してあったのだが、なんだか気合が入っているような気がして恥ずかしく、いつもと変わらないワンピースタイプのTシャツだった。その裾をたくし上げられて、ショーツも露わな状態だ。
「じゃまするなよ」
裾を引っ張ろうとした手を押さえつけ、キスを解いて香蓮の首筋に唇を這わせていた凌我は、軽く歯を立てた。
「ひゃっ……」
「そうそう、じっとしてて」
逆にワンピースを胸元まで捲り上げられ、ブラジャーのホックも外されて、乳房がこぼれ出る。香蓮がとっさに手で隠そうとするより早く、凌我が吸いついてきた。
「あ、あ……っ……」
乳頭を口に含まれ、舌で撫でられながら、反対の乳房を柔らかく揉まれる。初めての感覚と、それが凌我によってもたらされることに、香蓮は混乱してかぶりを振った。
ブラジャーごとワンピースを引き抜かれ、一瞬我に返ったかと思うと、再びキスをされて混沌の中に引きずり込まれる。
記憶に残るキスとは違っていて、あれはやはり『恋人ごっこ』だったのだと思う一方、それなら今は本当に凌我とキスをしているのだと心が昂った。凌我の肩に両腕を回し、拙いながらもキスに応えていると、胸から下降した指がショーツの上から秘所に触れるのを感じて、香蓮はびくりとする。
「あっ、凌──」
指がスリットに沿って動くたびに密やかな水音がして、香蓮の頬は熱くなる。
(やだ、私……)
脚を閉じようとするが、凌我の膝で阻まれてしまう。さらにショーツの足口から指が忍び込んできて、香蓮はぎゅっと目を瞑った。言いわけもできないくらい凌我に知られてしまう。
「よく濡れてる」
揶揄されるかと思っていたのに、囁かれたのはそんな言葉だった。それはそれで恥ずかしかったけれど、凌我は褒めるようなキスを頬にした。
ぬるぬると襞を撫で擦る指に、香蓮は何度も身体をびくつかせてしまう。やがて先端の花蕾に触れられると、痛くはないし不快感ももちろんないのだが、あまりにも刺激的すぎて声が抑えられなかった。
しかし入口に指を埋め込まれそうになったとき、本能的な緊張が走って下肢が強張った。やめてほしいとまでは思わないけれど、全身が警戒してしまう。
それは凌我にも察せられたらしく、香蓮の秘所から指を離し、下着の上から腰を撫でた。
「緊張するなよ。むちゃなことはしないって」
宥めるように香蓮の額に唇を落とす。
「ご、ごめん……初めてだから……」
そう呟いたとたん、凌我が動きを止めた。
(……驚いてる?)
彰人とは、手を繋いだことすらなかった。婚約していたとはいえ、会うのは家同士の席が多く、たまのデートも映画や食事ばかりで、そういう関係になる機会も雰囲気もなかったのだ。凌我なら兄の性格も知っているのだから、察していて当然だと香蓮は思っていた。
凌我は香蓮をきつく抱きしめると、上体を起こしてバスローブを脱ぎ捨てた。凌我のプロポーションが飛び抜けているのは知っていたけれど、厚い胸板と引き締まった腹部は薄明かりの中でも見惚れるほどだった。
「仕切り直した」
その言葉の意味を問う前に、凌我は香蓮のショーツを剥ぎ取り、両脚を開かせた。
「ちょっ……」
誰にも見せたことがない場所を露わにされて狼狽え、抵抗を試みるが、凌我の力には敵わない。凝視されているような気がして、顔から火が出る思いなのに、凌我の顔がそこに近づいてくる。
「あっ、う……」
躊躇いもなく伸ばされた舌が、濡れた襞を舐める。キスのとき以上に熱く感じられる舌先は、擽るように這い回って、花蕾を掬い上げるように撫でた。
(……これ……すごく気持ちいい……)
指で弄られたときも鮮烈な快感を覚えたけれど、今はそれに甘い刺激が加わって、いつまでも味わっていたくなる。気づけば閉じようとしていた脚はしどけなく緩んで、凌我はさらに深く香蓮を愛撫した。
舌先で転がされ、突かれ、息が上がっていく。
どうにかなってしまいそうで、でもどうにかなりたいような、不可思議な焦燥感が身体の奥から湧き上がってきた。
(あ……なんか、もう……)
ふいにそこを吸い上げられて、香蓮は水風船が弾けるような絶頂に攫われた。あられもなく腰が跳ねる。そのたびに快感が押し寄せて、凌我の髪を握りしめた。
「だめっ……もう、無理……」